みてはいけないものを

 みてしまったきがする。
 思いきって普段踏み込まない領域にずかずかと突っ込んでみたらえー!こことここはこんなことになってんのかー、変なつながり。とか思いつつ、ひとり危ないヲッチャー化してた。みてたらだんだんきもちわるくなってきたのでやめたけど。つながりって面白いけどきもちわるい。
 前だったら
「なんでこんなの見つけちゃったの?!なのに自分は・・・」
とか何故か自分に返ってきちゃってひとりうつうつとしそうになっていたのですが、別に人は人で自分は自分でいいじゃんと思える心が育ったのでしょうか。
多分高校生の時って今よりも自分が〓という心がいろんな方向に向いていて、それが些細なものだったとしても自分に手の届かないものであったらなんとも言えない悔しさや寂しさが生まれてきて落ちてしまっていたのだろうね。うーん。
 欲張りだったのさ。
 今は貪欲な態度はいいけど、そこで自分のコンディションを下げてしまっては元も子もないって考えちゃう。そこが思春期の自分と今の自分の大きな違いなのかもしれない。思春期の時も自分はとても大事だったけど、それよりも目の前で起こっている様々な出来事に翻弄されることで自分を成長させよう、みたいなことを心の底では思っていただろうな。反面今の自分っていうのは自分が傷付かないようにガードかたくなってると解釈されてしまってもしょうがないのかな。腹括って、やる時はやりますがね。でもこれも自己評価なので他人から見たらかいかぶりやがって!と思われることうけあいでしょう。
 とまぁ最近自分が成長した☆みたいなことばっかりブログに書きがちなのですが、それはほめるとか調子こくとかいうレベルではなくて確実に自分が歳を重ねている、思春期は終わってしまったのかもということが嬉しいような寂しいような切ないような、なんともいえない気分に囚われているからだと勝手に解釈しています。つーかそんなことを思うことで現実を少しはマシなものに見えるように仕向けているのかもしれませんが。
 おなかすいたなぁ。