不思議な相関性

 某SNS日記をみていると、全くつながりのない友人同士が結構同じことで喜んだり悲しんだりしているのを立て続けに読むことがたまにある。不思議だ。シンクロニシティ*1は確かにある。やけに共感する。うれしくなる。全然繋がっていない友人同士のシンクロニシティでさえドキドキしてしまう。けれどもその裏に何かおもうことがある。その何かって、何?
 わたしのもつ繋がりは自分と同じ年代の女の子の友人ばかりだ。今の私や友人たちは、ちょうど何か(進路のこととか)を決断しなければいけない状況に置かれていることが多い。中学や高校の時にも、取るに足らないことでいろいろ悩んで、落ちて、這い上がっていい気になってってサイクルを繰り返したけど、その時よりは少し考えたりうまく逃避したりする力がついた今も、考えることは尽きないのだ*2。考えた末に行動を起こしても、また何か問題が起きて考えて、行動して・・・堂々巡り。こんなに悩むのならいっそ何も考えずにやることやってみれば?とオプションが働くこともある。いいカンフル剤になることもあるが、逆に短絡的な行動が自分を奈落の底へ突き落とすこともある。あーもうどうやって存在していれば、楽しくいられるのでしょうか。「楽しい」って言葉をどう捉えるか、ってのもあるけどさー。がむしゃらにやった末の達成感が楽しいのか、できるだけ無理しないでストレス少ない状態が楽しい(これは楽って言ったほうがいいのかな?)のか。うーもうわかんね。
 まーごちゃごちゃ言ってきたけど、つまりはわたしの交流範囲は広いと思っていい気になっていたところに肩透かしをくらった状況なのだ。今の交友範囲もとても愛おしいものだし、よりよい関係を築いていきたい。けれども、別の観点から見ればまだまだ広げ甲斐のあるものとも見えるのだ。
 今のわたしに、何ができるだろう?とりあえず卒論に取りかかんなきゃいけないんだけどね。卒論もこのくらいぐちゃぐちゃ書ければいいのにな。

*1:アップした後に気付いた。わたしはずっと、シンクロシニティだと思っていた。恥

*2:考えすぎだよと言われそうですがね