motto

こちらをBGMに

motto 自分の中では全然知らないことを相手が非常によく知っていること。もちろんその逆もある。当たり前。そして知っている方が知らない方に向かって浴びせる視線は、決してプラスではない、負のオーラ。わたしはその雰囲気を感じ取るとすーぐカチンときちゃって、ぶち切れ、ふてくされ、暴れまくり、で後になって「なんでそんなくだらないことできれてんのばかじゃね」って周囲に言われて「てめーちきしょうおとしめたのはおめえらだろ!全員死刑です*1」とかまぁなっちゃって。最悪だよね。
 こういう時って何故か押されて自分が全て悪くなってへいへいそうですかどうせわたしが悪うございましたよっていうのがいつものことだ。怒ったことに対しての責任なんて取らず、面倒になり、逃げる。後味悪くて。それはやめよう。やめたい。いややめる。迷惑。
 普段あんまり怒らない自分が怒ることってのはきっとなにかあるから怒るわけで、そりゃあんまり怒りたくないからその原因てのはもう少し分かってあげたいとか自分大好き故の過大解釈になっていたが・・・原因って・・・被害妄想以外の何ものでもないだろう。
 わたしは、考える方だろう。裏の裏まで読む。読みすぎてわけが分からなくなる。だから人が放つさりげない、悪意のない一言をそう受け取ってしまうのか?なんでだ?
 この日に書いたことを、まだかかえてるのか?少し曲がりくねってるけど、近いような。自分の無知を否定したくて、その人が馬鹿にしたと思えば怒れる?それで他人を標的にするのは違う。
 わかんないよーもーうあー
 できるだけ、自分の思ってることを素直に解き放ってあげたい。けどすべてあけっぴろげな人ほど恥ずかしい人はいないって、強い思い込みがある。そういうふうにして、人を傷つけた人をたくさん見た。でもどっちかが正しいとか間違ってるとか、そんなのは誰にも結論づけられないよ。
 当たり前とか、思い込みとか、ばかみたい。しかしそれなしで生きてる人ってきっといない。それらをとにかく完全消去しろとは言わないし、言えない。ただとなりにある例外を忘れたくない。最近こわくてしょうがないのです。いつこの世の中が壊れてしまうのか。こんな生温い状況いつか壊れてしまうに決まってる。でもそれて杞憂とか昔の故事成語なんだ。何が起こるかなんてだれにも分からない。
「あせらないで それよりも 今を愛してね」 って そうすることで何か変わるかは、だれにもわからない。けどわたしもそうしよう。