ハッピィ・ハウス(?)

 ちきしょーうまくまとまんねーなーと思った上にえらそうなのでまたたたんじゃった。ぱたりぱたぱたり。
 突然なんですが、昨日の夜から実家に帰っているわけで。
 週末は予定がないと居候先にも居づらい。それなら1000円ちょっとで東武線を使って実家帰ってなんか買ってもらってご飯食べたほうが楽だよなーという甘ったれた考えでいつもは帰るのだが、今回は目的が全く違う。いうなれば、どさ回り*1か。たまたま帰る前に内定通知書と入社承諾書(だっけ?そういう類のもの)が届いたので、それ見せると分かりやすいなーとか私はやけに冷静だったんだけど、どこの老人も泣くから(苦笑)困った。
 内定出る前からなんとなく決めてたのは、内定出たからといって何も変わることはなく、浮かれすぎることも落ち込むこともなく、ただ目の前の事実を受け止めて日々を過ごさなければなぁということだった。世の中そんなに甘くはないので、内定取れたからといって世の中で自分がいちばん幸せなわけではないし、ここからすべてのはじまりなんだということ。スタートラインにつくまでも大変なんだから、この先ももっと大変に決まっている。それをどうやって楽しむか。なかなか頭の痛い問題ですけど、それが生きるということなんだからしょうがないよな。たまたま生かされているんだし。 えらそうですね自分。
 だから(この接続詞変だな)、目の前で私の代わりのように感情を見せる両親や祖父母を見ると、嬉しいなと思う反面、複雑な気持ちにもなる。自分は上のように冷静でいたいのに、やっぱり持ち上げられると浮かれてみたくもなる。ここ数日酒が入るとやけに陽気になるのはその所為だ*2。おかきょんが「ハッピィハウス」のあとがきで書いていたことってこういうことだ!ってことがなんとなーくだけどわかった気がする*3。血の繋がりとか、親しみとか、嬉しいものからこうなんともいえないかゆさを感じるというか。集団の中で生きるということはそういうなんともいえないところから抜けだせないということを改めて実感。

*1:とりあえず卒業後どうにかなったよって報告のそれ。昨日の夜は両親。今日の午後は祖父母

*2:うっわ、「所為」だって!明らかにかっこつけてみたので突っ込んでおこう

*3:今手元にないからちゃんと書けるか心配なんだけど、家族というものに囲まれているとビニールのカッパを直接着てしまったようななんともいえない感じって言ってたっけ。ごめん正直自信がない